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善重寺について
真宗大谷派 功徳山 善重寺の歴史
天保14年(1843年)10月 過去帳前書に記載の善重寺に伝わる寺伝
善重寺は、寛正2年(1461年)美濃国日坂(現岐阜県揖斐川町)の地に真宗道場として開創されました。
岐阜善重寺
戦国時代の末期には、数々の苦難を乗り越えて東本願寺を開いた教如上人と深い関係を結び、その寿像(生前につくられた像)をいただき、東本願寺への直参身分を得ることになりました。
教如上人寿像 善重寺蔵
江戸時代には木仏本尊をお迎えし、善重寺を名乗り、信仰拠点としてますます大切にされました。
木仏本尊礼銀覚(1718年)
明治・大正時代も確かな歩みを刻み、そして昭和の時代には尾張・知多の地にご縁をいただき、平成の時代に本院を知多に移すこととなりました。
また、平成26年より新本堂の建設が始まり、約6年もの造営工事の末、令和2年5月に落成を迎えるに至りました。
令和2年5月9日 落慶法要
私ども善重寺は、開創より約560年その長い歴史を一歩一歩大切に歩んでまいりました。
そして新たに再建された本堂を“お念仏”の拠点として、これからも歩み続けてまいります。
歴代住職
略年譜
- 寛正2年(1461年)
- 開基・法順、蓮如上人に帰依し、六字名号を授かる
- 大永6年(1526年)
- 証如上人より絵像本尊を授かる
- 慶長5年(1600年)
- 教如上人より寿像を授かる
- 享保3年(1718年)
- 3月7日 木仏寺号御免となり、「善重寺」寺号を名乗る
- 宝暦2年(1752年)
- 横井永徳寺の末寺であったが、永徳寺の高田派転派により本山直末の寺院となる
- 宝暦3年(1753年)
- 4月2日 本山より親鸞聖人の影像の安置を許可される
- 安永3年(1774年)
- 5月29日 聖徳太子影像・七高僧連座像の安置を許可される
- 享和元年(1801年)
- 4月16日 日坂の下村で十四軒が焼失。この時、善重寺も焼失
- 同年
- 本堂再建願
- 文政4年頃(1821年)
- 本堂再建
- 文政13年(1830年)
- 3月11日 自庵寺御免となる
- 同年
- 3月21日 飛檐出仕御免となる
- 明治11年(1878年)
- 6月 この頃、日坂小学校の仮校舎(長国寺庫裏)大破につき、善重寺本堂を仮校舎とし、貸与 明治17年迄
- 昭和14年(1939年)
- 賢道第二十三世住職就任
- 昭和17年(1942年)
- 11月26日 太平洋戦争により梵鐘金属特別回収
- 昭和22年(1947年)
- 11月20日 梵鐘再鋳 27日法要
- 昭和48年(1973年)
- 6月28日 善照二十四世住職就任
- 昭和61年(1986年)
- 7月4日 知多善重寺仮本堂落慶
- 平成18年(2006年)
- 10月28日 常徳二十五世住職就任
- 平成20年(2008年)
- 7月1日 寺務所を知多市に移転
- 平成26年(2014年)
- 9月26日 伽藍再建事業開始
- 令和2年(2020年)
- 5月9日 現本堂落慶法要勤修
- 電話番号
- 0562-32-2712
- FAX番号
- 0562-32-2713
- 所在地
- 〒478-0001
愛知県知多市八幡字荒古前60-1